Satsaṅga

はじめてのヴェーダーンタ勉強会 &チャンティング  

ईश्वराय नमः

 

「いーしゅわらーや なまは」は、初めてヴェーダーンタを勉強する為の本で人が求める幸せ、「自分とは何か?」を紹介しています。

この「いーしゅわらーや なまは」は自分の本質を知るうえで必要な、ブラフマンやマーヤなど、基本の170のサンスクリット語を、伝統的な例え話を使って解説しています。

ヴェーダーンタは、誰もが求めるゴールを教えています。

ただそれを知っていくにはその捉え方が理解していけるように準備が必要となります。

何でもそうだと思いますが、いきなりゴールはないですよね。何でも準備やそれに対しての練習や勉強は必要でステップは大切です。

そのステップとして、ヨーガというものがあります。ヨーガというと体を動かすことをヨーガと思う方も多いと思いますが、ヴェーダーンタがいうヨーガとはライフスタイルのことを言っています。そこはごちゃごちゃになっているので、混乱してしまうところでもありますよね。私も混乱しまくっていました。

ヨーガは生き方であり、ヴェーダーンタの教えを聞く準備として、ヨーガが教えられていてマインドを成長させてくれるための手段です。

身体を扱ったヨガも、内臓が活性化されたり、身体がスッキリしたり、強さや柔軟性、そして忍耐力など養われていけるので、身体にとっての恩恵は沢山あります。

ただ、集中力や感覚器官のコントロールして座ることもできるようになりますが、その自分の感情や感覚器官がコントロールできたとしてもマインドの成長はできるのでしょうか?

だれもが共通のゴールは幸せであり、それは知識によって得られるものと言われています。

それを知るにも、まず座るといことが必要になりますし、聞く準備が必要となりますよね。

体を扱ったヨーガで、成長したマインドでその教えを聞く心身を作っていけます。

座る準備が出来ても、それを今度は理解するには、人としてのマインドの成長がなければ理解につながりませんよね。

人としての成長は、自分や近い人だけでなく、広い意味で全てのものに対して思いやりを持ち、他の生き物の権限を自分の都合で奪わないことを考えれることですよね。

私達は生活していくうえで、何かしら動植物たちを犠牲にしていくことになるので、それによってとても豊かな生活が遅れているます。それに対してただ消費していくだけで良いのかなと少なからず思われたりしたこともあると思います。

だからといってどのようにしていけば良いのか、考えること、気付いていくことが最初に必要だと思いませんか?消費だけではなく貢献者としてどのように社会と関わるかということにも考えられるようになれれば、自分の為だけから周りに対してにも思いやる捉え方をしていけるように、マインドを成長させていかなくては全てが自分のためだけになってしまいます。

自分以外に対して気配りができること、困っている人に対して手助けできることが人としての成長ですよね。

その成長を育てるにはカルマヨーガの意味を正しく知ること、知るには教わることが大切です。

カルマヨーガは行いをどのような態度で行うかなのですが、何を選択するかによっては、結果も違うのは当たり前のことで誰でも理解はできると思います。

行いには必ず結果が返ってきますので(必ず公平に)、どの行いを選択するかはダルマ(調和とか秩序、あるがままのもの、宇宙の法則)を理解していき、そのダルマに沿った行いをなるべく選択するということが大切となります。

出来るだけ、ダルマに沿った行いを選択出来れば良いですが、それによって自分が我慢をしなくてはいけないこともあります。

その我慢というのは個人の感情であり、根本は好き嫌いの感情からなので、そのように気づいていくには客観的にみていけるようになるには成長は欠かせないと思いませんか?

そして、成長させてくれる為の手段としてヨーガであり、普段の仕事や家庭、子育てなどの役割や、その時のその時点ですべきことをし、できるだけ調和していく方を選択していけるような態度が成長を助けてくれると言われています。

仕事の種類でもないし、誰かのマネでもないし、この仕事は自分に向いてるとか、嫌だから変えるとか、ストレスは自分を傷つけるから辞めるとかではないですよね。

ヴェーダーンタが教えるヨーガとは生き方であり、態度ですので、そのステップをとばして、ヴェーダーンタが教える「人が求めるゴール」の理解は勘違いしたものとなりやすいです。

ヴェーダーンタは人が追い求めるゴールを教えられていますが、だれもが求める幸せとは純粋に知ることと言われています。

ただ、独学では、今までの解釈でしかとらえることが出来ませんから、それを勘違いの内容に、ステップを踏んで丁寧に教えてくださる先生達が必要になります。それを教わるのには、伝統的に学んでこられた先生達の言葉がとても大切です。

先生なくしての勉強では、勘違いがおこり都合の良い解釈になりがちで、それが様々な混乱となるのも事実です。哲学ではなく昔から変わらない教えであり真実です。

そこが大切だからこそ、先生の先生またその先生たちもその教えを大切に、グルパランパラーとして伝統的な方法論が大切に守られ伝承されてきました。そのお陰で私達はその恩恵が受けられ教わることができています。本当に有難いことです。

ヴェーダーンタの教えは知ることのみですので、行いは関係ないのではと思いがちですが、行いを通して心を育てていけるものであり、それが人としての成長となりその成長がなければヴェーダーンタの言葉の捉え方に勘違いを起こしやすいということです。

その成長は、普段の役割をきちっとこなしながら、するべきことするということの理解、全ては法則で成り立っているという理解、行いを奉げるということはどういうことなのか、そして行いの結果とはただ単に結果としてではなく、与えられたものであるという理解となるように考えをきれいにしていかなくてはいけないですよね。

最初は無理に理解しようとするのではなく、ある程度、先生を信頼し何回も何回も繰り返し、その教えに耳を傾けることが大切だと言われています。

頭で理解や記憶していても、自分の頭に何かしらの気づきがなければ、何も変わらないです。

世の中も、考えや感覚器官、体も常に変化していくものであり、何かを手に入れたら幸せと思っていた自分に気づき、自分はダメなものという制限からの自由、それをヴェーダーンタは教えています。

自由と言っても、生活や何かを変えるとかではないことも、決して自分の好きな事をすることが自由ではないということは、はっきり理解できますよね。

その教えがギュッと詰まった「いーしゅわらーやなまは」の本を少しずつ読み進めていく勉強会です。

変えられないことを一生懸命頑張るのではなく、そのことを知り、受け入れる勇気と知識がありますように。

行いを奉げるという態度、結果はプレゼントとして受け入れるという捉え方ができますように。

そして、どのようなことも楽しんでいけますように。

参加費:¥500(スタジオ使用料)

参加費とは別に伝統的な教えが守り継がれているグルクラムへの寄付としてもされたい方は受け付けます。

使用する本:「いーしゅわらーや なまは」

「ダクシナ」とはインド伝統において、ヴェーダやヴェーダーンタがとても神聖なものとみなされていて、その知識と伝統に対する尊敬と感謝が「ダクシナ」です。生徒はその教えに感謝という態度を、先生や施設にダクシナをします。ダクシナや寄付などの意味はみちか先生のブログで紹介されています。  http://medhamichika.blogspot.com/search/label/%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%8A         ओम् शान्तिः शान्तिः शान्तिः  

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