成長とはどのような事なのか、考えたりしますか?
その成長のためにヨーガという行い方は大切なのですが、その行いは自分のためになのか、周りに対してのものなのかによっても捉え方が違ってくるかもしれないですね。
ヨーガというと、最初はスタジオやスポーツジムなどで行われているヨーガに通ううちに、何かしらの感情などの変化には気づいていくことになるかもしれません。これもひとつの癒しやリラックスの自分に気づくとかになったりするかもしれませんが。
それが心地良くて通う方や、さらに集中して練習したいとなる方もいると思います。私もそうでしたが、リラックスとか癒しという感覚で最初は捉えていたように思います。
そのうち何がヨーガなのかわからないというか、結局ゴールは解放とか言われていても、そこがよく理解できなかったでした。
そもそも解放されるというのは分かるけど、自由の意味が広すぎて何が自由で何が自由でないのか、人それぞれになりませんか?
その後の生活とかどうなるんですか?とか永遠の幸せとかが具体的にどのような意味なのか、頭で理解ができなかったです。そういうふうに言われているからそうなんでしょう、、、みたいな。
なので、どう解釈してよいのか理解したくて、いろんなワークショップや養成講座と言われるものに参加し、何かを探してたような感じでした。ヴェーダーンタという教えに出会うまでは。
「ヨーガってライフスタイルのことなんですよ、どのように行いをするかの態度ですよ」と聞いたときは、スーッと体の中をすっきりしたものが流れたというか「そうなんですか?そうですよね!その方が腑に落ちる」でした。
だったら最初からヴェーダーンタを教わればいいのではと思ってしまいますが、それを教わるにはそれを教わる生徒としての準備が必要だということも言われています。最初はそれも理解できなかったように思います。
その準備として、人として社会人としての成長が必要だということです。その成長に「ヨーガ」が道具としてあるわけですよね。
ようは生き方の態度なので、どのように行いをしていくかですよね。成長のための行い方、態度がヨーガということです。
広い意味で、全ての生き物に対して思いやりを持てるかが成長ですが、人が生きてくためには、他の生き物の犠牲を払っているわけなので、貢献していかなくてはいけないということです。そこに気づけないと、消費活動は楽しいかもしれませんが、そこに成長はないですよね。
そして社会人だからこそ貢献できるチャンスがあって、それが心の成長を育ててくれるのだから、チャンスがいろいろあります。
自分の事だけを考えるのは人の特徴かもしれませんが、そこには成長がないということにもつながりますよね?
成長していくということは、気配りが出来て、人だけでなく他の生き物にも思いやれることが成長で、よく考えればとてもシンプルなことで当たり前のことです。シンプルだから難しいのかもしれませんが。
少しでもそこに気づいていければ捉え方も変わってくると思います。
日々の生活や仕事を通して、いろいろな感情や怒り、イライラはあります。それは全て自分の成長のために与えられていると思えるように大人として成熟した心になれたらなと思います。