日々の気づきのあれこれ。

バガヴァッド ギータ―10章

ムクティ先生からバガヴァッド ギータ―10章を学ぶ2日間が、東京シヴァーナンダヨーガセンターで開催され、それに参加させていただく為に、申し訳ございませんがクラスはお休みさせて頂きました。

対面での勉強は、やはり良いですね!集中できます。先生が常におっしゃっていて、とにかく「集中して聞く」ということに納得していけます。

学べば学ぶほど、その聞きこむことというのは、先生がお話されていることに集中してること、マインドは外に向かっていないことになります。最初のころは、何もかも忘れないように、ノートに書き込んでいました。何もかもです。ただ、それは、書き込んでるときは、書くことにマインドが向いていて、お話しされている内容が聞けていないことだったことに、ようやく気づけてきました。よく睡魔にも襲われていましたし、、、

そして、先生と同じ空間で同じ時間を過ごせること、そこにも感謝しかありません。ギータ―の教えを聞くだけでなく、先生達の振舞いや、無償でランチをいただき、そのランチを早朝から準備をしてくださってた方々など、全てにプンニャ(良い行いの積み上げ)が実った結果として、イーシュヴァラとのつながりが実際に、理解しやすいと思います。

そして、バガヴァッド ギータ―10章は、そのイーシュヴァラがトピックで、ヴィブーティ(栄光)です。イーシュヴァラとは、この世界の現れ全てがイーシュヴァラということなのですが、いきなりイーシュヴァラと言われてもわからないですよね。なのでステップが必要という説明をしてくださいました。

最初は、イーシュヴァラを対象物として捉えるというステップです。対象物が目の前にあると見ていきやすいですよね。毎日のプージャーや祈りの言葉、チャンティングなど祈るという行いを続け、少しずつイーシュヴァラを理解していける考えを養っていけるために祈りを捧げ、そこから全ての行いを捧げるという理解に成長していけるように。

次に、そのイーシュヴァラとは、この世の中全て現している。全てがイーシュヴァラという見え方です。ただ、やはりリアルな世界に勘違いをしてしまいやすいので、その時は最初に戻って対象物としてのイーシュヴァラ(神)を見ていけば良いとのことです。その繰り返しかもしれません。

そこの理解をしていくには、マインドの成長が必要となり、成長していく方法として、ギータ―ではカルマヨーガを教えられています。カルマヨーギーは何をすべきかというと、今その場所においてのすべきことをすること。学生は学生として、仕事は仕事、家庭に戻れば、家庭でのそれぞれのすべきことなど。客観的にみれば当たり前なことが、自分の好きな事が優先してしまう考えに気づけていけないことが多いです。人生一回しかないから好きな事をすれば良いということが大切なように言われてたりすると、それが正しいと勘違いしてしまいます。私もそのように振舞ってきて、その時は満足でした。好きな事をしているのですから当然です。ただ、何かモヤモヤした後ろめたいものもあったように思います。その違和感が何なのかは、この教えを通して、そして根気よく教えてくださる先生達によって、気づきを与えてくださいました。

それましたが、今の場所で、すべきことはイーシュヴァラの現れであり与えられたもので、良い事も悪い事も全て与えられているという見え方を理解していく為に、カルマヨーガで精神的成長を養っていくことが大切になります。

楽しい時や嬉しい時、有難い時はイーシュヴァラを見る事は、まだ見やすいですが、イライラや怒り、嫉妬などの時というのは与えられているとは見えにくいですよね。イーシュヴァラの姿、形は見えない状況もあるけど全ては与えられたものです。

私達の生活では、全てがイーシュヴァラとは見にくいけど、全ての人や物をイーシュヴァラと見ること。その理解があったとしても体がある限り、自分の体、自分のマインドとして見てしまいます。病気になった時、仕事や、人間関係など気分が良くない時などは、そこになかなかイーシュヴァラを見ることは出来ないですよね。

先生がおっしゃっていた「イーシュヴァラとは見えない状況の時に、そこにイーシュヴァラを見ていく方が輝いていませんか?」とのことを聞いた時は、なるほど、そういう見え方でイーシュヴァラを見る、何てきれいな見え方、捉え方だろうと思いました。ひとつひとつの言葉が、私達のマインドを整えてくださる言葉であり、教えを伝承されてきた聖者たちと同じマインドだということですよ、素晴らしいですよねと説明された時はなんとも言えない感激しました。その教えは伝統的な方法論ではなく教わっていたら、主体的なマインドのままで捉えてしまい勘違いのままになってしまうので、伝統的な教え方が大切なのも理解していけます。

そのような見え方をしていく練習は、普段の生活の中にごろごろありますよね。まさしくカルマヨーガです。

*良い所にイーシュヴァラを見る。*悪い所や状況にもイーシュヴァラを見る。*食べ物や動物や全ての物にもイーシュヴァラを見る。カルマヨーガの結果として、アンタ・カラナ・シュッディ、マインドがきれいに整えられていきます。

イーシュヴァラを見ていくためには準備も必要なので、それをヴェーダーンタが教えていて、その方法論がヨーガです。

感覚器官が外側に向いている限り、ラーガ・ドヴェーシャ、好き嫌いはありますよね。その好き嫌いがあるから、それに沿った行いをしてしまいます。嫌なことをしよう、我慢しようと言っているのではなく、好き嫌いで行いをするにも、ダルマ(秩序、調和)に沿った方を考えて行いをするのが大切ということです。

もし、好きに振り回されて行いをしてきて、アダルマ(不調和)な事をして誰かに嫌な思いをさせてしまったなら気づいていけば良いということ。「自分の体を持っていること自体がダルマなので」と聞いた時は、そのような見え方がまさしくイーシュヴァラ!ですよね。

すべきことをすることはプンニャ(良い貯金みたいなもの)が稼げるという事の他に、やるべきことをしないという事は、すべきでないこ事をしているという事、そこにマインドフルネスを使ってほしいというのも、正しい使い方だなと思います。

何かを変えようとするのではなく、普段の生活は変わらないけれども、見え方が変わるということです。どのような時も、イーシュヴァラを見る、イーシュヴァラの栄光、ヴィブーティ。

長くなってしまいましたが、2日間の学びはとても充実したもので、このような機会を与えてくださりありがとうございました!

ムクティ先生や、食事を担当して下さったあきこさんやスタッフの皆様に感謝を致します。

9月22,23日は、ムクティ先生が、ギータ―が教えていカルマヨーガを教えてくださいます。是非、ギーターの素晴らしいエッセンスに触れてみてください。

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